学校休んでTDL

あると思います。(エロ詩吟じゃないよ、念のため)

TDLだとダメだけど万博だと良いとか、そういう差別もいかがなものかと。

TDLでサービスを学ぶ、ということもできるわけでして。利権でやってるモノと比べたら得るものも違うような気がしますが、とか端的なことはどうでも良いわけでして。

学校に行くも休むも権利だし、その結果勉強ができなかったり解らなくなったりするのは権利を行使した側の責任。その責任を取ることができるならば、選択は自由です。

義務ではあるよ、小中学校は。少なくとも日本では。そういう行政?サービスを受けられることは感謝すべきだし。誰もそんなこと思ってないと思うけど。学校なんて行かせてもらえるの当たり前だよね、的なね。

でも、(なんでもそうだけど、)当たり前のことって、実はそもそもは当たり前じゃなくって、当たり前になるように頑張った人たちがいるってこと。そして、当たり前になったことでその価値が下がってしまったとも言えるかも。その根本となる思想がだんだんとブレてくるんだよね、しょうがないことだけど。

だから、たとえば手段としての学校が目的としての学校(学歴)となってしまって、その価値観からスタートした人たちは手段が目的された事によって本来の目的を知ることなくその道を進んでいくことになってしまうのは不幸だなぁ、とか。

むろん、年端の行かない子どもに勉強するのと遊びにいくのとどっちが良い?とか判断させるのは難しいと思うけれど、人生には色々な時間の使い方があってよいと思うのです。

ニンゲンは何からでも学べるのです。

特に子どもの頃の方が、純粋に、素直に吸収できると思うのです。

大人たちが自分の凝り固まった価値観で子供たちの行く先を指図するよりは、よりよきオブザーバーとして、広く楽しいこの世の中をどんな風に生きていったら良いのか、生きていくべきなのか、を見せて、考えさせることが重要だと思うのです。(むろん、よかれと思っての事だとは思いますが、それが絶対的な善?正?ではないと思うから、判断の余地は残すべき)

その手段として、TDLでも万博でも、学校でも、行きたい、行くべきだ、と思って素直に生きるのが良いと思うのですよ。

どうでも良く流されていくときもあったり、それが必要だったりする時もあるけれど、自分の頭で考え、自分の足で歩けるように、なりたいものです。

いくつになっても。

 

2010年1月

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